ゆるしてやんよ

断酒日記です。

【何日目かは忘れた!】それでもノンアルライフは続く

お久しぶりです。 大変ご無沙汰しております。

去年の9月に娘が生まれ、初めての育児に奮闘している最中、娘に病気が発覚しました。 胆道が閉鎖して生まれてくるという難病でした。 二度の手術をしました。

それでも思わしい結果は得られず、今月肝臓の移植となる予定でした。 ドナーになる為にランニングを始めた私は、真夜中誰もいない道路を1人走りながら、何と無く走馬灯のようにアルコールに依存していた辛く暗い日々を、そこから震えながら這い出して来た日々を思い出したのでした。 そしてあの日、自ら殺しかけた肝臓で、娘を救うのだと思うと、涙が溢れるのでした。

その後、術前ギリギリの検査で回復の兆しがあり、移植は延期になりました。 神様からの贈り物のような日々を、今は大切に過ごしております。

アルコールに依存していた頃、人生が膠着していました。時間が止まっていて、昨日のような今日、今日のような明日が、地平線までずっと横たわっているように感じていました。

その止まっていた時間は、おそらく変化を嫌った私が無理矢理止めていたもので、ノンアルコールでえいっと動き出してしまえば反動のように、めまぐるしい日々を送っています。傷も負いますが、擦り傷切り傷です。呪いのような重苦しいものではありませんし、時々レベルの上がる音もします。

アルコール依存症というコントロール障害の根っこにあるものは、愛着の障害でした。 そして、アルコールに依存することは緩慢な自殺ではなく、生きる為の下手くそな自己治療でした。 私を含む全てのアルコール依存症の皆様は、生きるためにお酒を飲みました。 お酒を飲まなければ、生きることが困難でした。

よくぞ、生きてこられました。 さぞかし生きづらかったことでしょう。 何1つあなたのせいではありませんでした。

今度は生きる為にお酒を置いてください。 1人で置けないようなら、是非とも病院へ。 それすら難しい精神状態だったら、ブログを始めてみてください。 そして、同時に生きづらさの原因を、自分のこころの現状を、どうか紐解いてください。

ノンアルコールライフは、頑張る事とは真逆のことです。 今夜、1人でも多くの人が、ノンアルコールで幸せに過ごせるよう、心から祈っています。