ゆるしてやんよ

断酒日記です。

【18日目】

昨日は、21:30〜23:30、3:00〜8:00まで寝た。 真夜中のインターバルには2回目のお風呂に入って心ゆくまでポカポカしたり、食べそびれたごはんを食べたり、気になることを調べたり、ゲームをしたり、楽しいことをたくさん詰め込んだ。

お酒を辞めてからのわたしは、おそるおそるではあるけれど、大層ポジティブでお気楽者で、自分自身や日々の出来事に、とても優しい目線を持って暮らす事ができている。

18日前に生まれたばかりなのだ。お酒を辞めて、新しい世界でどうやって生きて行ったらいいのかまるでわからなかったわたしが、不器用にも今その時間に楽しいと思える色んなことを詰め込み直して暮らす事が出来ている。たった18日でこの成長。二度目の人生は、このまま楽しい事で溢れ返させるって決めた。

飲酒欲求は全くない。

でも分かることがある。そうしようと思えば、ふいにコンビニに寄ってガラスケースを開け、お酒を選んで部屋に持ち帰り飲む事が出来る。そういう事が出来てしまうわたしもいる。 ただ、そんな思いがもたげた事を、数分後には夢の中の出来事のように思うのだ。現実ではお酒売り場のガラスケースの扉はハリボテに変わっており、アルコールの消えた世界にアルコールの記憶を持ったまま生まれてきて、時々前世の記憶を夢で見る、という感じ。

戻れない世界というのがある。 幼稚園バスの運転手さん、おじいちゃんがお風呂で歌う歌、夏休みのプール、初恋、風邪を引いた日の悪夢、捨てられていた猫。断片的な記憶と、その時感じていた感情、匂い。 そういうわたしを形成してきた数え切れない現象の中に、お酒は行ってしまったのだった。

世界はどんどん変わっていく。 大切なものもそうじゃないものも、風景のように両側を流れていく。 その中で、いいなと思うものだけを掬って、眺めたり匂いを嗅いだり抱きしめたり、色んな形で味わう。 もちろん選ぶのはつねにわたしだ。

子供の頃、死ぬのが怖かった。みんないつか死んでしまう事が、自分が死ぬことが怖かった。それなのに平然と笑って過ごしている大人たちに、なんて危機感がないの!死ぬんだよ!?って焦りを覚える幼稚園児のわたしがいた。 その時のわたしに、同じ直線上の今のわたしが声をかけてあげるとするならば。

焦っても泣いても、幸せに過ごしても同じ時間が流れるよ。 終わりがあるからこそ、今この瞬間幸せであることを選んで行けたら楽しいね。過去は選んで来たこと、未来は選んで行くことで出来ている。 怖いよね。死ぬって何なのって思うよね。でも怖がることは何もないよ。人生って楽しい夢とおんなじなんだ!

ふわふわとこんなことを考えている時間、わたしは過去を癒しているのだろう。

悲しい辛いことで埋め尽くされているように思えた過去は、実は表面を悲しみでコーティングしていただけで、掘り返してみると、全然そんなことはなかったのだった。なんてことだろう。 嬉しいことも幸せなことも同じくらいたくさんあった。悲しいことを思い出す回数がずっとずっと多かっただけだったのだ。

不幸で過去をコーティング出来てしまうならば、逆に幸せでコーティングすることだって出来てしまう。どちらでも選べる。なんなら起きた事象として、幸せも不幸もなく羅列することも出来る。そういう才能を持って生まれて来たのだ。

ネガティヴ、ポジティブの差ってピントの違い、ただそれだけだったんだなぁとしみじみと思う。

幸せになりたいな、と心から願った今、もう本当に幸せにしかなりようがない事に気付く。 どうしよう、宝くじに当たったような気持ちだ。 にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
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